池上秦川邸での活動2010

池上秦川の気配を語る(2010年度 )

 

秦川邸を改装していく計画(2009年11月から開始)

日沼智之氏(青森空間実験室・当時)の提案や現場での指導のもと、アーティストたちも作業に加わる。「この家が建てられたときの形に戻す」という目標が決まったのちは、昭和の時代に改装された合板べニアをはがす、作業で出てきた壁土を使って壁の補修をする、漆喰を塗る、土間にコンクリートで叩きをつくるという改装されたものをもとに戻す「現場作業」に取り組んだ。

 

 

2010年3月、京都在住のアーティストで隠岐の西の島でもアート活動を展開している岡田毅志さんが「秦川の近くに焼火神社がある」という情報を持ってやってきた。焼火神社は隠岐の西ノ島にあり、江戸時代には北前船の入港によって、海上交通の神と崇められ日本各地40数カ所に焼火権現の末社が点在している。果たして、それを秦川邸の裏の陣屋跡に見つけることができた。

   

6月26日、梅雨の季節、秦川邸の空間に人が集まってきた。池上誼郎さん(眞平さんの伯父で秦川邸で昔、産婦人科を開院していた)、眞平さん、親戚の人をはじめ、総社の話を聞きたい人や、教育・アートに関心がある人など。誼郎さんが調べて来られた、秦川を巡る話から始まった。江戸末期の混乱期にあっても、人は生きるために学び、他者に伝え、家族や家督を守り、歴史を繋いできた人間の力強い生き方を感じることができた。また秦川以降の勢平さん(総社町長)の話、古い8ミリの映像紹介もあった。

眞平さんが「家族だけでは、秦川さんを振り返るとは無かった」「時代の変わり目には教育が必要」「しなやかな強さを持つこと」と話した。日沼さんが「時代背景、社会背景は変化しても、教養や感受性、人間性の必要性」を総社と弘前藩とを比較しながら話した。「家」というものの存在から、自分と他者、個人と社会との関係性を話した。

池上家の人の歴史を聞きながら、我々はそれぞれ自分の歴史を辿っていたのである。

ここには場の力があるのだろうか?座敷に座ると皆が饒舌になっていく。

総社の初夏の風が、家の中に入ってきた。床の間には秦川さんと、誼郎さんのお爺さん勢平さんの掛け軸が下げられ、我々の話を見守っていた。

家を開くための関係性をつくるワークショップ

1:秦川邸裏の竹で作ったパン

2:アートリンク参加者小池さんの野菜入りそうめんと夏の野菜たっぷりのパエリア

3:アートリンク参加者茅野さん一家によるコーヒーtalk

4:西崎さん家族によるお茶会