笠岡諸島アートブリッジ2023

踊百景白石

笠岡諸島アートブリッジ2023 映像作品「踊百景白石」(約6分) 令和5年度芸術文化振興基金助成 多分野共同等芸術創造活動  岩本象一/カタタチサト/羽山まり子/吉川寿人 今回の笠岡諸島アートブリッジ2023「島の色と白石踊のライブラリー」の一環で映像作品が完成しました。会期中に会場でお披露目した作品を YouTubeで公開します。ご覧ください。 ▶︎ アイコンをクリックしてスタートします。

笠岡諸島アートブリッジ2023「島の色と白石踊のライブラリー」in白石島: 参加アーティストメッセージ


岩本 象一 IWAMOTO Shouichi

今まで島の方々と”舞台パフォーマンス”を通じて交流し作品発表をしてきましたが、昨年より形として残せて発信可能な”メディア”を作品にする試みを始めました。 声のアーカイブとして島の人々の声を録音し個人史を編むことで島の過去現在未来を浮かび上がらせたのが2022年。 そして今年は視覚的要素にフォーカスし映像作品に取り組みました。 かねてより島の様々な風景とそこで舞う人々の構想がありました。 そのイメージを膨らませていった結果、風景のシンメトリー構図を通奏低音として場所を変えながら人々が踊り継ぎ空間を繋いでいくような映像構成に仕上がっていきました。 カットの切り替えは音の機微と密接に繋がって進行していきます。 音楽の心臓部分として盆踊りの太鼓と仏舎利塔の鐘をサンプリングし4拍フレーズ×8を周期としています。 この形式はガムランの古典から借用しており、また8という数字には∞を暗示させています。 その揺るぎなく続いていく土台の上にガムラン楽器群が盛花のように装飾していきます。 また過去の録音物、島の祝い唄や口説きなどもコラージュし時間と空間が交差するようにしています。 シンメトリー構図が地続きとなり過去現在未来が螺旋のように繋がっていく中、音の配置や奥行きもミキシングで立体的に立ち現れるようにしました。 ヘッドホンなどでぜひ体感してほしい部分です。
また本作品は映像作家、ダンサー、染色家による揺るぎないアプローチが映像随所でコアとなり島の人々の芯の部分と共鳴し更なる深化をもたらしています。 本作品をメディアとして残し世界へ発信することで新たな出会いや気づきのきっかけが生まれることを願ってやみません。

カタタチサト KATATA Chisato

昨年は踊りを見せる形で訪れた私が、今年は映像作品を島ともに作ることになり、お話を聞いたり白石おどりを教えてもらったりしながら、島の人たちと時間を重ねることができました。 島の人が現在の肉体を持って白石踊をおどる時、または語る時に過去が蘇っているのが面白いと感じ、波がパッとはねるような両手のはらい、ああいう共通する手の動きとか下がる足の動きとか白石踊りの特徴的な部分が、つながっていくように見えたのが印象的でした。土地は、白石島にはるか昔から積み重なったものの蓄積で、街並みや暮らしも含めてゆるがない強さを持っていて。おどりは、時間を飛び越える暗号みたいだなと思ったんです。 なので、私は映像の中で、島の風だったり島に寄せる波だったり見上げる月だったり好きな物語であったり、魂や記憶、異形だけれどみなさんと共存しているものなど抽象的な存在で、みなさんの白石おどりに混じることができて、完成した映像を見て「ブラボー!一千年前を弔うことから進化してきた白石おどり、またここから一千年が始まる!」と興奮しました。 新奇な関わりとして訝しがらず受け入れてくださったのは、白石島のみなさんが未来へ開いている想いと、アートでの関わりを今まで続けてこられた方たちのおかげです。その中で、「今」脈々とつながってきた白石島の白石おどりのとクロスできたことを嬉しく思います。ありがとうございました。

羽山まり子 HAYAMA Mariko

私はインスタレーションや染色という手法で「創造的な対話の場」の制作をする美術家だ。 白石島では島に生息する植物を使った染色を媒介とした関係づくりをしている。植物を求めて島中歩き回り島民と対話すると、島の歴史風俗を身をもって知ることができる。 映像作品のために制作した染色作品は島民から教えてもらった生の営みと目にした風景、アーカイブされた白石踊に纏わる品々と書物から生まれた。材料の植物は島民が自発的なご厚意で採取してくださったこともあり、風に靡く軽やかさとは裏腹に存在の重みがある。共演者たちはどう受け取るだろう。 撮影演出編集に携わっていないため完成した映像作品で結果を知った。採石場や月の袂でカタタさんが踊るシーンで染色作品の核が生かされ新たな表現が萌芽していた。一方、構成と動線に対話が生まれる工夫をし創り上げた松浦邸の空間では来場者の対話に花が咲いていた。私の作品は人に使ってもらって成立するので、良かったと思う。

吉川寿人 YOSHIKAWA Hisato

独特の風習や文化が残る島々。歴史や暮らし、その精神性から学ぶことはたくさんあります。 白石島での滞在はそんなに長くないですが、そういったものにたくさん出会いました。今回の題材となった「踊り百景白石」もそうです。踊り手たちが生活の雰囲気をそのまま持 ち込んでくれた撮影では、改めて、白石踊りが地元にとって大切な土地の文化であり、地域外 の人にとってはその土地の奥行きを楽しみながら知ることのできるものだと感じました。多くの現代人にとって「価値がない」と思われがちな伝統文化はたくさん存在すると思いま す。新たな形でアプローチすることや、それを受け入れる柔軟さこそ、白石島の魅力ではない かと思いました。



笠岡諸島アートブリッジ2023「島の色と白石踊のライブラリー」開催in白石島 9月16日〜10月8日

令和5年度芸術文化振興基金助成:多分野共同等芸術創造活動

外側から被写体を処理するのではなく、存在そのものに対して、一個の存在として直接対面する。

写真家:ダイアン・アーバス(1923−1971)

風光明媚な笠岡諸島。少子高齢化などの課題がある一方で、島ごとに脈々と続く伝統があります。人間は本来、目に見える世界だけに生きているのではなく、自然や先祖に守られて生きている。島はそれを身体で感じることができる空間です。宮本常一が「忘れられた日本人」のなかで取り上げていた、島の暮らし、循環型社会を継続してきた島は、創造性を生むための場所としての機能も、今後大いに期待されています。

今年、参加するアーティストにとって印象に残る場所で、島の人の協力のもと、ダンスミュージックビデオの制作をしていきます。自生する植物の色や伝承されてきた白石踊が、アートの視座で新たな景色をつくっていきます。そう、島は、近未来社会!

 

●開催場所/期日   岡山県笠岡市白石島  松浦邸 /2023年

9月16日〜10月8日:常設展示:松浦邸9:30~16:00

9月24日(日):アーティストトーク&上映会 映像作品「踊百景白石」(13:30〜15:00)13:00開場

観覧無料

●参加アーティスト

岩本象一(音楽)

カタタチサト(ダンス)

羽山まり子(植物染色による衣装、インスタレーション)

吉川寿人(映像)

◆白石島

白い花崗岩が点在する白石島は、江戸時代には沿岸航路の中継地として栄え、漁業や砕石、綿栽培も盛んで各家には機織り機がありました。元禄4年(1691)、長崎オランダ商館のドイツ人医師ケンペルは、江戸へ行く途中に白石島を訪れ「白石港は比類無きほどの投錨地(船の停泊地)。この小さき島には北に向かって開いている細長い港があり、その近くに開墾された心地よい谷がこの港特有の地形をなしている。」と、白石港が潮まち、風まちの良港であったと記しています。江戸時代には、備後福山藩水野家の領地であり、開龍寺はその祈願寺としても栄えました。最奥には、「大師堂」があり多くの巡拝者で賑わってきました。鎧岩に続く高台には、タイのワットパプナム寺院との交流により建立された「仏舎利塔」があります。

◆白石踊

白石島に古くから伝わる盆踊り・回向(えこう)踊りで国指定重要無形文化財です。令和4年11月30日にユネスコ無形文化遺産に「風流踊」の一つとして登録されました。 一つの口説き(音頭)に合わせて何種類もの踊りが一斉に舞われるという特徴があり、男踊・女踊・娘踊(月見踊)・笠踊・奴踊・扇踊・二ツ拍子・大師踊・阿亀(おかめ)踊・梵天(ぼんてん)踊・ブラブラ踊・鉄砲踊・真影(まかげ)踊など、都合13種類の踊りが伝わっています。それぞれ衣装や所作が異なった踊りが、一つのリズムに溶け込んで調和を生み出すさまは、動的かつ優雅で「一幅の絵巻物」とも表現されます。 踊の起源は、源平水島合戦の戦死者の霊を弔うために始まったと言い伝えられていますが、音頭は多数あり、20余種の唄が伝わっています。代表的なものに、「那須与一」「石童丸(いしどうまる)」「丹波与作」「賽の河原」「山田の露」などがあります。戦さや疫病など災いを祓い安寧な暮らしを願った、島で「生きる薬」としての芸能です。 それぞれの踊りは、島民が島で育って行くにつれ、年齢に応じて伝承されています。 先祖供養の年中行事として、早魃の年に行う雨乞い・雨喜びの感謝踊りとして、また、観光客のために文化伝承として踊ったり、島外へ招かれて公演したり。 現在でも盆踊りとしての白石踊は、新暦の8月13日~16日の夜に行われます。かつては島民の大きな娯楽の場であり、老若男女が夜を徹して踊ったといいます。 島に行きた人の時間そのものが白石踊とも言えます。 島では「白石踊会」を結成し、踊りの保存伝承に努めています。また、白石踊会笠岡支部による、定期練習会も行われています。白石島で暮らす人たちが激減している今は、島出身者や、踊りが好きな人たちも加わり継承されています。

◆松浦邸

泊まりやの屋号が残る小見山庄屋の嘉惣次邸として、島を訪れる賓客の宿舎としても利用されました。 「伊能忠敬測量日記」によると、文化3年正月23日(1806年3月12日)北木島の測量を途中に、1番隊と3番隊が午後4時すぎに白石島に到着。2番隊は大飛島・小飛島の測量をすませ、夕方白石島に到着したと。庄屋の嘉惣次宅に宿をとり、たいそう立派な家だったと記しています。邸横にある巨石には不動明王像が刻まれており、「波切不動明王」と呼ばれています。

●実施体制

主催:NPO法人ハートアートリンク / 後援:笠岡市、一般社団法人笠岡市観光協会

協力:白石踊会、白石島公民館

企画:NPO法人ハートアートリンク

お問い合わせ:NPO法人ハートアートリンク

Tel/090-5698-4933  ホームページhttp://heartartlink.org